メイドときたらお次はもちろん執事!!
前回メイド服について見てみましたが、
絶大なる人気を誇る執事についても見ていきましょう。
でも一つだけ注意があります。
日本で執事というと今でも燕尾服を着ているイメージがありますよね?
これは残念ながら現代のコスプレ。
エドワード朝のイギリスとかにならいましたが・・
そしてその形は誰でも知っているので、ここでは取り上げません。
現代で燕尾服を着た執事がどこにでもついてきたら、目立ってしょうがないですよね?
そうすると身代金目的で誘拐されたり・・
こちらはミラノとロンドンにある執事学校↓↓↓
実際にアオキの友人のご子息が通っています。
イタリアでは人気の執事養成学校。
就職先は一流ホテルや王室の執事・・
でも現実の執事さんはスーツやごく普通のカジュアルなスタイル。
な~~んだ、
じゃ何か特別なコト教えてよ!
あリますよ~!
ファッション史オタクのアオキがお教えするのは、
誰も知らない1700年代本物の執事スタイル!
私が執事カフェを開くなら、制服は断然1700年スタイル!
そのほうが豪華だし、インパクトありすぎですから。
おまけにどこを探してもいない。
カフェっていうか、もう宮廷??
さあ、コレを読んでライバルに差がつく執事カフェをプロヂュースしちゃいましょう!
ところでメイド服をメイド服らしくみせるのは「生地そのものの選び方!」でしたね?
では1700年代の執事の服を執事服らしくみせるには?
さあ、何が需要でしょう?
正解は、服のカタチそのものです!
1700年代に完成された執事ユニフォームのカタチがあります。
これを守ると、必ず執事に見えます。
そしてこの時代錯誤な執事服のカタチはイタリア中心に、
なんと1700年から1930年代まで使われました!
これがご主人様お気に入りのカタチだったんですね^^
ちなみにこれからお話する内容は用語がわからなくて当然です。
日本のファッション史用語は外来語が多く、
中でも伊仏英語が訳す方(すみません)でも日本語に照らし合わせきれなくて
ぐるぐるするからです。
でも!私はしつこく正確な年号を書いています。
この年号とその時代のファッションのカタチを頭に叩き込んでいくと、
ファッション史の流れが見えてきます。
ここではこんな時代にこんなカタチがあった!
と驚いていただければ十分です^^
さあ、イタリアの執事とは??↓↓↓
目次
大貴族お抱えの超フォーマルな執事服のカタチは1700年モデル!
もちろんイタリアにだって1800年代に入るとシャツに黒い蝶ネクタイの召使いもいましたよ。
でもここでは取り上げないってば。
まずは基本の大富豪の召使いスタイル。
全体的に男性の召使いのほうが女性のメイドよりフォーマルでした。
男性のほうが動きの少ない仕事が多かったからのよう。
ここでいう召使いとは使用人全般、執事とはそのトップです。
では1700年からお決まりの召使いスタイルとは?
写真のバレーとは従僕の一種で主人の衣装、トイレ、銃、長靴‥
親しみを込めてバレーA君としておきましょう。
とにかく主人の身の回りお世話全般係。
執事昇進可の超高級取りでした!
写真見えずらくてすみません、ティレッリ衣装工房のコピー機のせいです。
ローマの老舗衣装工房ティレッリから、超貴重資料を頂戴してまいりました^^
でもこの人、ナント!1909年にこのカッコですよ!?
さすがにカツラはすたれちゃったのでかぶってないんですが・・
召使いスタイル、朝と日中用のお給仕には
- 1800年代まではカツラ
- 厚手のウールのひざ下ズボン
- 白アイボリーのストッキング
- 青地に黄色や赤の細縞ベスト、小さいポケット付き。
- 黒シルクサテンの袖と後身頃
- シャツか胸当てとネクタイや蝶ネクタイ
- 主人の好みでジャボタイ
- メタルか銀のボタン
- Livrea(リブレア)
この色合いだけでザ・召使いですね。
④このベストはヅラと並んで需要ポイント。
まず色合いは家によって決められていました!
この黄色や赤の細縞は既成のリボンを使用は厳禁!
わざわざ生地をリボン状に断って各家で作成。
ポケットとえりぐり、アームホールには飾りループを縫い付け。
⑤そしてナント!袖がベストに縫い付けてありました。
上着を着ているのでここでは見えません。
ベストの後身頃とこの袖は黒いつるっとしたシルクサテン。
高級ですな。
⑥胸当てというのはベストのえりぐりから見えるシャツのボタン部分だけ独立した飾り。
ちょうど幼児の前掛けみたいなものです。
⑦1700年代だったら華美じゃない程度のジャボタイ。
ジャボタイとはフリルで作られたネクタイ。
執事カフェ、これ絶対でしょ?
⑧このボタンなんですが、一つ一つ家紋入り。
パーティーのお仕着せでは金めっきボタンです!
⑨家の雑事には小さい緑色か黒のウールのエプロン。
執事のヘアスタイル、絶対忘れてはいけないのはコレ!
執事スタイルで一番大事なのは、1700年から変わらぬ形のヅラです!
モーツァルトのヘアスタイルをイメージしてください。
1910年頃からはかつらは使われなくなります。
でもお貴族さまんちでは
1920年頃まで執事はこんなヅラスタイルでした(;´∀`)
それからは執事だってその時代のヘアスタイルになっちゃいます。
ご主人様のお世話係、お小姓のカッコには大変な注意が払われていました!
1700年代後半にLivrea(リブレア)だけでなく、
このお小姓から始まって、その時の流行だったカツラもつけるようになるんです。
左右にロールした髪の毛を一つづつ。
3つづつにしてある映画を見たら、それは時代考証が間違っている映画です。
または何かロール好きな人の意図が・・
絶対に一つづつ。
1700年代後半の大流行ですから。
超豪華なお仕着せはパーティーやお出迎え用
超希少資料、さっきの従僕さんバレーA君の後ろ↓↓↓
- Livrea(リブレア)お仕着せ
- 超小さい後身頃
- 家紋
- ウェスト横の位置に巨大ポケット
①『お仕着せ』って日本語訳はなっています。
Livrea(リブレア)という時代錯誤な上着のこと^^
Livrea(リブレア)は家紋入り、各家で色合いが決まっていました。
これはお出迎えや舞踏会で着用。
ちなみに、家紋は中世からの由来。
そしてこのLivrea(リブレア)は、それぞれの時代の流行で変化します。
私たちが知っているのがこの1700年代のLivrea(リブレア)で、超お高い印象のもの。
それ以前の1500年年代の流行のものは中産階級仕様で、ちょっとお安く見えるからです。
Livrea(リブレア)はその家指定の色に揃えて、男子スタッフ全員が着ていました。
執事、小姓、従者、御者、馬てい・・職種によってちょっと形は違いましたが。
②の超小さい後身頃なんですが、現代の半分しかありません。
1700年代には肩や背中が大きいことは下品だったので、
このように視覚的に小さく見せようとしていたんです。
これが1700年代モデルだという証拠!!
これとひざ丈ズボン。
1900年頃からは長ズボンもはくようになります。
とにかくLivrea(リブレア)はポケットからえり、アームホールなどすべてに
ループで大変高価な装飾がほどこされていました。
③三角が三つの目と口みたいな印、これがここんちの家紋。
変な顔にしか見えませんが、れっきとした中世の盾の模様・・
更に前を開けっ放しで着る上着モデルなので、
その下のこれまた高価なベストが見えていました。
④の特大ポケットは大きさも位置も必須です。
入れ物としての機能も良いですが、デザイン的にも飾り立てられるからです。
どうですか、この1902年の従僕B君たち!
ザ・執事スタイル
召使いスタイルと一線を画すザ・執事スタイルとは何でしょう??
基本的なカタチはそのほかの召使いと同じ。
でも召使い隊長執事は、さらにリッチなLivrea(リブレア)着用!
その代表的なものは超リッチな黒にこれまたリッチな縁取り付き。
下にその家のカラーのベストをチラ見せ。赤とかね!
とにかくザ・召使い隊長執事だけ他の召使いと違う特別カラーだったんです。
1800年代に入ってからやっと、
紳士全般のフォーマルスタイルとしての燕尾服が誕生。
流行を追って執事も燕尾服を着るようになります。
だから執事=燕尾服、ではありません。
執事が流行を追ったフォーマルスタイルが燕尾服、というだけのことです。
この執事の燕尾服、ボタンはメタル。
御者くんのスペシャルスタイル
忘れてはいけないのが御者くん。
御者くんは、
- ダブルボタンコート
- エリはケープで大きく
- 大きなメタルボタン
- Gallone(ガッローネ)で飾る
①御者くんはダブルのコート着用。
②エリはケープ状に大きく2重になっていて、日本ではインパネスコートと呼ばれるタイプ。
ただし御者くんのケープは2重以上。
このコートは1820年代モデルなのでウェスト位置がとても高いところ注意です!
③これに大きなメタルのボタン。
雨の時には蝋引きの防水服を着用。
田舎道で土ぼこりが立つときには、薄い麻のコート。
馬車の後ろにつかまって立っている従僕も同様。
④エリとポケットにはGallone(ガッローネ)と呼ばれる、
ざらざらっとした銀製やブロンズ製の超目立つひも状の飾りが縫い付けられていました。
このコート、後ろは馬に座りやすいように二つに割れていて、ボタンと『ベロ』がついていました。
ウェストの横には巨大なポケットがついていました。
足首のあたりがしわしわっとたるむくらい柔らかいピッカピカの皮のブーツ。
この場合、もちろんひざ丈ズボンでカーキ色やグレーのウール。
召使い全体を通してひげはありませんでした!!
たま~にカフェのお給仕さんが口ひげを生やすくらい。
ザ・門番!かなりコワい
コロンナ王子というのは、イタリアの名家コロンナ家の王子様んちです。
その門番が1924年にこのカッコ!
こんな人がいる宮殿、怖くて入れませんね。
でも1924年と言えばシャネルによってコルセットが外されたころ・・
第一次世界大戦が終わって、アメリカからの楽しいチャールストンダンスが流行った頃ですよ!
女性はスパンコールにビーズのきらきらドレス、短いヘアスタイル。
男性だってタップダンスを踊っちゃうようなカジュアルスーツ。
はい、20年前の召使い集合写真↓↓↓
スタイル、全然変わっていませんね(;´∀`)
ちなみにローマにあるこの宮殿、近年修復されて一般公開されています。
その修復現場に侵入してきたので、その模様は次回!
コロンナ王子様?いまでも代替わりしてご健在ですよ^^
まとめ
いかがでしたか?
近代まで時代錯誤な召使いスタイルは健在だったということです!
そして住人であるお貴族様たちは、その時代の流行のファッションでした・・
つまりひざ下丈スカートあり、ふつーのスーツあり・・
オイオイ主従関係一目瞭然だな?
ちなみにローマのコルソ通りにあるコロンナ宮殿美術館。
本物のこの従僕スタイルが展示されています。
王子様の音声案内で見学できます^^
シンデレラ~~~♪
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本格メイド服とは?差がつくクラシカルスタイル、3つの秘密