19世紀ヨーロッパの庶民は
実際にはどんな服を着て
どんな暮らしをしてたのでしょうか?
上流階級やモデル
特別に着飾った人たちの姿は
絵画や記念写真に多く残されてます。
アブルッツォの家族写真 1900年頃でも
19世紀の人々の大半を占めてた
労働者階級や貧しい庶民の姿は
意外なほど見えにくいもの。
そんな中で見つけたのが
1900年頃のアブルッツォの家族写真。
アブルッツォ州は
イタリア中部にある山がちな地域で
当時は決して豊かな土地ではありませんでした。
この写真に写ってるのは
華やかな流行服ではなく
厳しい暮らしの中で生きていた人々の
現実そのものの服装。
わ~~~い、
宝くじにあたった気分!
19世紀上流階級の華やかな生活を知るのは
実はそれほど難しくありません。
絵画や記念撮影
当時のファッションプレートなど
資料がたくさん残っているから。
でも
普通に働き
家族を支え
土地の中で暮らしていた人々の姿は
なかなか見えてきません。
だからこそ
この写真たちはとても興味深い。
では
この写真の何がそんなに貴重なのか
どこを見ると
19世紀イタリア庶民の暮らしと服装が見えてくるのでしょうか?
超貴重!19世紀イタリア庶民の日常の真実から本当に使われたファッションデザインを知る
現代ではファッションショーで見る
ハイファッションと、
実際に人々が街で着ている服は違うよね?
昔はどうだったんでしょうか~?
超貴重な写真から庶民の流行を探ってみよう。
アブルッツォの少女たち 1890年この少女たち。
そっくりですがふたごチャンじゃないよ。
- 雑な手編みレースの大きなえり
- ブラウスのまん中にはヒダ
- ちょっと上にふくらんだ袖
- まん中にギャザーを寄せたエプロン
①で「雑な手編みレースの大きなえり」
と言っちゃってごめんなさい!
レースは貴重品で高かったから
この少女たちが編んでいたんでしょう^^
しかも使いまわし。
古い服についていたレースを外して
新しい服に付け替えるなんて日常。
レース編みの道具も雑な大きなものしかなかったのでしょう。
こんな「雑な手編みレースの大きなえり」に。
今ならハンドメイドですごくかわいいけど^^
②「ブラウスのまん中にはヒダ」だけどね。
19世紀末はハイファッションで細く長い胴が大流行!
1880年~1900年ね。
そう見せるためにブラウスの真ん中にひだを寄せてたんだよ。
アブルッツォの少女たちも
細長い胴になりたいな~
ってその流行に合わせて^^
③「ちょっと上にふくらんだ袖」
は1890年~2年だけの大流行!
たった2年だけど、
都会のイケてる女子はみんなこの袖。
肩幅がせまく細長体型に見えるからね。
2年前の袖は流行おくれ。
このアブルッツォの寒村の
流行からほど遠そうな少女たちも
この袖山をつけているなんて!
左の子は今っぽい手首見せもしてるじゃない?
手首見せは1890年の流行り。
さっとすっきり細長体型に見えるからだよ。
④「まん中にギャザーを寄せたエプロン」
はよくあったエプロン。
とても大きくて、
ここにも真ん中にギャザーを寄せてね。
これも体型を細く長く見せるため。
ほらね、
なんかこのけして裕福ではない
アブルッツォの少女たちを見ているだけで
時代が読めてくるよね?
ヘアスタイルも1890年の頭のてっぺんに
結い上げてた流行を追ってるね。
この2人もなんとなく上の方に結い上げられてる・・
1860年ごろの髪はうなじあたりで結われた。
少女たちにはまだその名残が。
でも流行にのって頭のてっぺんに結い上げたいな~
っていうのが伝わってきます^^
おとーさんが
「そんな髪型けしから~~ん!!」って
言ったのかもね。
そしてこのアブルッツォの少女たちも
もちろんコルセットつけてます。
でもそんなにいいコルセットではなく、
締めすぎると農作業が出来ないし、
胴がぶわっと広がってるね( ノД`)シクシク…
下が1890年のハイファッション↓↓↓。
1890年 ファッションプレート L’art et le mode- ハイファッションの方のレースの大きなえり↑
- 真ん中にひだを寄せて細長くみせるブラウス↓↓
- 上に飛び出した袖山↓↓
都会の少女 1890年上の少女はアブルッツォの少女たちと同年代。
こちらは都会の洗練されたお金持ち少女♪
お金持ち少女のコルセットは高級で、より締めあげて。
都会少女の方が袖山がよりはっきり上に飛び出してるね。
そしてやぶれそうなほど超薄い高級コットン・・
上のアブルッツォの少女たちは
この流行しか知らなかった。
それで互いにそっくり同じ格好になってしまったんだよ
超おもしろい庶民記念写真をご紹介するね!
興味深すぎる19世紀庶民記念写真!
アブルッツォのある家族の記念写真 1900年頃一方こちらはあるアブルッツォの家族の記念写真。
裕福じゃないけど当時のアブルッツォの
人たちとしてはかなりいい方。
- の女性はアブルッツォの少女たちと同じ1890年の流行りの袖が付いた服。
- このおにいさんの帽子のかぶり方は1900年初期。
- このおじさんのシャツのえりは長いので1905~10頃の流行。
- この女性は1905年頃のヘアスタイル。
- この女性のヘアスタイルこそ1870年ごろの低く結うタイプだけど、袖といい、袖山といい、服は1890年のもの。
①の女性、ヘアスタイルは1905年頃の少女がしていたような
後ろでみつあみかも。
流行通り両サイドにちょっとボリューム出してね。
②の帽子のかぶり方は、
1930年になるにつれて目に影ができるのが
カッコよかったので目深にかぶるようになるよ。
④の女性、1905年のヘアスタイルの流行では
耳の上、左右にボリュームを出して上の方に結い上げるよ。
そしてすごい水玉模様の服!
確かに水玉は流行ってたけど。
都会のはもっと小さい水玉ね。
でもここでは・・
この格子もようのかざりみたいな、
ごつめのかざりは昔からよく庶民の間でされてたんだよ。
余った生地を切ったり、リボンで模様を作って縫い付け。
④⑤の女性とも、胸のあたりで切り返しになってるね。
これもよくあったパターン。
これらの事実から、
この家族の記念写真は1905年頃に撮影されたんじゃない??
でも①の女性は昔作った服を着ていた・・
そして⑤の女性のヘアスタイルはアップデートされず
昔のものに固執していたとか・・
いろいろ分かることがあって、実に興味深すぎる家族の記念写真!
こんな写真の使い方は?
昔の写真の使い方
私は普段こんな写真をもとに徹底的に時代考証するよ。
これはチェーコフの『かもめ』の舞台の衣装デザイン。
1890年の舞台設定。
ポリーナ 『かもめ』チェーコフ デザインbyアオキナオカカレというえりもと。
そこにぐるぐるとヒモを縫い付け。
町中の洗練されたおしゃれな人ではない、
ちょっと田舎の女性。
えりのバリエーション デザイン by アオキナオカ↑こちらはえりの別バリエーション。
もう少し洗練されお金持ちの田舎の女性にする場合用だよ。
貧しい人々がなぜハイファッションのエッセンスの詰まった服を着ているの?
むかしは雑誌でファッションプレートを見て、
自分で家で服を作ってたんだよね。
だから
「ハイファッションのエッセンスを取り入れて
日常に使えるものを作る」がフツー。
なぜってお手本がハイファッションしかなかったから。
そして雑誌の種類はとても少なく、
みんなが同じお手本を回し見。
だから結構流行とおなじ格好をしてたんだよ
それが顕著だったのが19世紀の庶民。
それ以前は貧しい人々の間では
ファッションプレートすら手に入りにくかったし。
庶民はす~~っと長い間流行に関係なく
同じような格好をしてたんだよ。
アブルッツォの農民女性たち↑これが貧しい農民の女性たち。
何年もほぼ同じ格好なんだよ・・
でもブラウスの袖のカタチがやっぱり流行を追ってる!
1890年頃の袖ね。
この農村女性たちの服装はこれ。
- 自分で編んだ分厚い毛糸のストール
- 飾りのない白いブラウス
- 大きなエプロン
- ヘアスタイルは1870年
みんなはさみを下げて。
作業の必需品って感じ。
右の女性が下げている三日月のものは草刈りガマ。
その隣の人が持っているパンみたいなものはフェルト。
農民の靴の中に入れていたそう。
履き心地が超悪かったり、
そもそも木靴で超痛かったり。
そのまた隣の人は編みモノしてるね。
じゃ19世紀庶民の大半だった、もっとビンボーな人は?
19世紀、貧しい人々の真の姿
アブルッツォ 靴屋の一家こちらの靴屋の一家はかなりビンボー。
でもこのおとーさんのシャツ、フレンチカジュアル??
これはこの時代によく合った縞のアンダーシャツだから。
おかーさんのエプロンと娘のワンピースが同じ生地^^
手作りですな。
貧しいおじいさん 1898年とても貧しいおじいさん。
でもこのレベルの人はたくさんいたよ。
- 形のなくなってしまった帽子
- 羊飼いの杖
- 不格好になってしまった大きな靴
いつ作ったかわからない服・・
でもおじいさんにこにこ。
とても貧しい移民の家族↑とても貧しい、しかも不毛の土地へ移民するしかなかった母子・・
明るい目の色から、たぶんルーマニアからの移民。
ジプシーと呼ばれて泥棒あつかいされたり、恐れられたり。
でもおかーさんかなり美人♪
19世紀 アブルッツォの街の様子↑こちらは19世紀のアブルッツォ、
庶民の街の様子がわかる貴重な一枚。
女性はみんな分厚いスカーフを巻いて。
男性はみんなかなりくたびれた服を着てるね。
そしてみんな同じ格好じゃない?
- 女性はブラウス、ジャケット、頭のスカーフ、ショール、スカート、エプロン
- 男性はブラウス、ジャケット、ズボン、ベスト、帽子
そうだからそうだったんだよ。
他の格好はなかったし、
だいたいあったとしてもモラル上できなかった・・
帽子なしとか、上着なしで外出なんて
「もってのほか!!下品!!」。
女性のスカーフも必須。
外で髪の毛を見せるなんて『男性を誘ってる』
って思われたんだから!
カトリックの道徳観念ね。
ココまで見た極貧のおじいさんだって上着、
帽子着用だったよね?
この服装モラルこそが流行だった。
だからみんな同じような格好に見えるんだよ。
19世紀のイタリア、フランス、イギリスの庶民
19世紀のヨーロッパ庶民&農民の服装は全体としてここまで見た感じ。
男性も女性も民族衣装以外の平服は、ね。
しかも近世の服装として200年くらい変わらない・・
流行りを追うのは若い貴族の特権。
生活や作業しやすい服装だとどうしても似ちゃうね。
民族衣装になると主に19世紀のものが現代にまで受け継がれてるので昔の着付けとして参考にしてOK!
中世の平民となるとチュニックを着る。
それだけ。
おわり・・
こうした資料は
ネット検索だけではなかなか出会えません。
古い写真集や図書館資料
現地で見つけた本の中に
当時の暮らしや服装を知るための
大切な手がかりが残っていることがあります。
一枚の写真を見るときも
服の形だけではなく
どんな土地で
どんな暮らしの中で
その服が着られていたのか
そこまで想像しながら見ることで
時代の空気が少しずつ立ち上がってきます。
まとめ
今回は
19世紀上流階級のハイファッションと
庶民の服装を比べて見ていきました。
庶民の服装は
上流階級の流行をそのまま再現したものではありません。
でも
襟元やシルエット
装飾の入れ方などを見ると
当時の上流階級のファッションのエッセンスが
庶民の服装の中にも
少しずつ取り入れられていたことがわかります。
また
同じ時代の人々が
似たような服装をしているように見える背景には
暮らしの条件や
服装に対する当時の感覚
地域ごとの習慣も関わってました。
こうした細部を見ていくと
一枚の写真や一枚の絵から
その時代の暮らしが少しずつ立ち上がってきます。



