3000年来歴代美女の驚きのモテコーデウェブファッションショー!
流行はくるくる変わるけど当時の流行りは爆笑もの!
外出自粛でうつうつするから歴代著名美女たちに笑わせてもらいましょ~
目次
- モテコーデの紀元は原始時代の呪い⁉
- 紀元前エジプトのネフェティティの健康法がモテメイクの紀元!
- 古代エジプトファッションではシースルー美人が常識!
- クレオパトラが完成させた首なが~美人モテコーデ!
- 無能の皇帝ネロの妻ポッペアの新発売乳液はロバ使いがすごい!
- ローマ帝国時代は美ボディをメイクでアピール!
- 中世、厳格カトリックのもと盛り袖が花盛り!
- ルネッサンス代表はおハゲ美人
- 貧血虚弱が美人の証!エリザベス1世の美白術と威嚇コーデ
- 16世紀男子のモテコーデがおバカ、そんなんでいいのだろうか⁉
- ヴィクトリア朝小尻流行りの10年後は大きなおしりが大モテ
- 胴長美人、なで肩美人、筋トレしないでどうすんの?
- フランス革命前夜超絶虚飾コーデ
- 美人はクサいが常識、お風呂は非常識!
- 纏足・コルセット、美人の条件達成のカギは骨折にあり!
- 常識外れの最多求婚者が群がるザ・女性解放家は友達になりたい№1!
モテコーデの紀元は原始時代の呪い⁉
まずはモテコーデの紀元から!
すっごいむかし約40万年前から2万5千年ほど前に出現したネアンデルタール人。
彼らの末期、今から9万年以上前。
オーカーという粘土になった天然黄土を使った化粧からだよ~
現代の発掘調査でイスラエルのカゼフー遺跡から見つかった貝殻ネックレス。
そこに天然黄土がくっついてたんだよ。
たぶん黄土で化粧した人の肌から貝殻にくっついたんじゃないかと言われてる。
現代アフリカのヒンバ族はテレビで放映されるよね?
世界一美しい民族と言われている。
真っ赤な土を体にも髪の毛にも塗るの。
原始時代、黄土を塗る目的はコレ!
- 儀式
- 虫よけ
- 日焼け止め
- 美
- 他民族との差別化
だよ!
獣より弱い人間は動物の毛皮をかぶったりオーカーを体に塗って動物を威嚇。
まだすっぽんぽんだったであろう時代‥
獲物がたくさん捕れるように、無事に帰ってこられるように祈りを込めて体に黄土を塗った‥
魔物がもたらす病から守るために、まじないのために黄土‥
祈りや威嚇が化粧の紀元。
そこに虫よけ機能があるって周知されて。
強いものがモテ男子で子孫を残せて生存競争に勝てる!
儀式の呪術目的で始められた粘土化粧。
紀元前エジプトのネフェティティの健康法がモテメイクの紀元!
黄金マスクで超有名なツタンカーメン王の義母、ネフェルティティさん。
紀元前1370年~1330年ごろの方でエジプトのイクナートンの王妃ね。
彼女が古代エジプトの美女代表!
そネフェルティティのモテメイクの特徴は何と言っても
- 目尻をこめかみまで引いた漆黒のアイライン!
- 真っ赤なくちびる!
- 巨大なヘッドドレス!
- 細長~い首が自慢
コールは自然な鉱物からの黒い粉で今でも中東の女性のアイメイクに使われるよ。
それにエジプトのまぶしい太陽から目を守ったり。
邪眼からの魔除けにも。
真っ赤なくちびるも同様に穴から体に害が入らないように塗りたくったの。
これもモテるためではなく日焼け虫よけや呪術的な意味合いからスタート!
エジプトで紀元前一万年前から体に黄土を塗りたくったことから発展。
もちろん健康や呪術、他との差別目的ね。
ここからだんだんモテメイクの方へ発展していくのさ!
- お高い化粧品を使ったデフォルメメイクで庶民と区別
- 外で働かないことによる白い肌はステータス
- 細長~い首はこの人以降現代まで、繰り返し流行りにでてくるヨ。
古代エジプトファッションではシースルー美人が常識!
ネフェルト妃の大きな頭は流行りのカツラだよ~
ぴっちりしたスケスケワンピはボディラインも胸元もしっかり見せて。
総ビーズですっけすけ!
王妃様だってシースルー。
そこに特注巨大黄金ネックレスでキメて。
ちなみによくエジプト楽器奏者などの頭にのっかってる細長いお饅頭。
これは固めた香油が入った壺で、宴会の間にだんだん溶けだしていい匂いをふりまいたわけ。
クレオパトラが完成させた首なが~美人モテコーデ!
紀元前69年 – 紀元前30年の方で有名なのは7世ね。
エジプト最後の女王。
いいお話。
とにかくコーデで最高の自分の見せ方を演出できる策略家!
まさにモテコーデの女王だよね~
そんでさっきのネフェルティティさんから1300年後、クレオパトラご自慢の首なが~美人を発展させたの。
クレオパトラのモテコーデは、
いかに全体のバランスをよく見せるか!
に心血そそいでたんだってサ!
天然炭酸水で朝晩全身水浴が日課。
首のピーリングや血行促進を重点してね!
余談だけど超ハイレベルな話。
ハリウッド映画「クレオパトラ」は、「パリが恋するとき」のイディス・ヘッドやヴィスコンティの「山猫」と1964年のアカデミー衣装賞を争ったんだよ。
結果、「クレオパトラ」の勝利。
その時の様子を懐かしそうに話してくれたのは今は亡き恩師ピエロ・トージ氏‥
イタリア国立映画実験センターでのこと。
巨匠もハリウッド映画には予算負けとか言ってた‥
無能の皇帝ネロの妻ポッペアの新発売乳液はロバ使いがすごい!
ローマ大火で有名な残虐無能の暴君ネロ。
その妻ポッペアはローマ一のセレブね。
衣服自体は男子は半円か長方形の布をドレープ作って体に沿ってまとうのが一般的。
女子はT字型。
トーガ、ストーラとかね、ほぼみんな同じ。
だ・か・ら 肉体美発揮なのよ~
鉛入りの白粉や口紅、ムダ毛処理剤‥
現代化粧品の基礎はローマ時代に発明されちゃってたんだよ!
人間本来の自然さを消して儀式の神性、荘厳な世界感の演出!
でもローマ時代の退廃から来る肌の衰えを隠すために日常で使われるように‥
ポッペアナ ピングイアっていうの。
パンくずとロバの乳を混ぜて~
乳液ってか、ある兵隊がシップに使えるんじゃない??って言ったくらい濃かったらしい。
彼女はもちろん旅行にも携帯してったの。
でも吐き気を催すくらいすっごく臭かったらしいよ!!
ローマ帝国時代は美ボディをメイクでアピール!
ローマではギリシャ人みたいに肉体そのものが美しいことが本当の美とされてた!
シンプルで調和のとれた衣服で美しいボディをアピール。
ローマ帝国時代はさらに化粧にも専念!
美しいスタイル抜群ボディに薄物がひらり
漆黒のくっきり眉とアイライン
真っ赤な口紅
きらめく金のアクセサリーが揺れて‥
(現代イタリアにもまだこんな人たくさんいる!)
縮らせて計算されたナチュラルヘアか超盛りヘア!
こんな感じのトータルビューティーがモテた。
ローマ市内は繁盛する理髪店でごった返し。
金持ちは専属美容師奴隷がおうちで何時間もかけて結い上げるよ~
脱毛脱色は常識。
トラヤヌス帝の奥様プロティナの盛りヘア見てよ!
髪に泥つけて固めてパーマにして。
ヘアジェルまだなかったから砂糖水で固めてね!
上の女性は棒で何か書いてる。
でも化粧もこんな感じ。
棒で粉の眉ずみを目の周りに描くと涙で溶けて濃いアイラインに。
中世、厳格カトリックのもと盛り袖が花盛り!
時代は進んで暗黒の中世。
厳格カトリック教義に生活の隅々まで支配されて‥
文化がぜん~んぜん発達しないで来る日も来る日も時が止まったかのよう。
こんな時代が5世紀から何百年も続いたよ‥
アダムとイブのお話にあるでしょ?
女性は生まれながらにして罪深い存在。
モテるために着飾るのもメイクも禁止!
モテようとする心自体禁止!
肉欲はご法度!
でもなぜか盛り袖とかぶり物だけはカトリック教義の目をかいくぐったの。
「ダメと言われてもこれくらいはさあ」って感じで金持ちが押し切った。
最もすっごくお金がかかったから、ほんの一握りの金持ちだけどね。
盛り袖の素材はシルクロードや中東からやってくるきらびやかな織物や宝石、珍しい毛皮。
袖をなが~くたらして、これでもかってデコっちゃった。
かぶり物は天国まで届くようにどんどん高~くなった。
ルネッサンス代表はおハゲ美人
厳格な中世とは打って変わって、ルネッサンスは人生を謳歌する知識人の時代。
抑圧されてた人々の自由と美に対する思いが爆発!
宗教画というテーマでこれでもか!ってヌード描かれたのがわかりやすいよね。
絵画技法も発達して、絵に美しさを添えやすいプラチナブロンドが大流行り!
でもルネッサンス発祥の地のイタリア人のほとんどはブルネット。
だから脱色は必須。
猫のおしっこ集めの職業があったほど‥
ルネッサンス美人のモテメイクはおハゲから!
ひろ~いおでこが流行ったの。
だから前髪は脱毛。
眉毛も抜毛、目の上がツルっと表情ない感じが流行ったの。
中世でおやすみしてた長~い首もまた流行り。
でも人間の首はそう簡単には伸びない。
だから着物みたいに服の襟元を後ろに抜いて。
それから前のめりした立ち姿で長い首を演出。
長いヘッドドレスも引き続き活躍。
ルネッサンス美人代表はルクレツィア・ボルジア!
白い肌に溶けるような金髪。
ここにゴージャスモテコーデしてたらそりゃモテるよね。
父の教皇アレクサンドル6世とその私生児で兄のチェーザレ・ボルジアの政略結婚の道具にされたのは有名な話。
彼女自身毒を仕込める指輪をしてたとか‥
貧血虚弱が美人の証!エリザベス1世の美白術と威嚇コーデ
紀元前のローマから延々と続く美白への探求がスゴイ。
肌を白く見せるのになまりの入った白粉使ってたのはよく知られた事実。
だからむしばまれた肌は黄色くくすんで大きなシミができて‥
さらに大量の白粉を塗り重ねる‥
それでも貴族階級が美白にこだわった理由は?
日焼け=労働者階級=たくましい だから。
色白はセレブの印!
貧血虚弱はモテるための究極のヒケツ。
バロック時代のエリザベス一世の美白術ほどすごいものはないよ。
1533年~1603年のお方。
特徴は病んだように見える色の白さ。
メイクと血抜きと暗い色のドレスのおかげね。
女王として強く威厳を保って威圧して支配しないと。
表情を出さないように‥
女性としての弱さを出さないように‥
大きなひだ襟で威厳と威圧感出して
肩パットも入れて上に縦にそびえるように‥
統治のために男性の手を借りず
政略結婚で外国の干渉を受ける危険をきらったり。
未婚の方が外交上有利かも♪って戦略もあった。
おっさんばっかりの公会議とかで紅一点。
求婚者はいたけどいつもおじゃんに。
結局未婚のまま‥
そして後にこの処女性が女神ってくらい神聖視されていく。
この時代の美白方法はというと。
ヒルに血を吸わせてみたり‥
瀉血(しゃけつ)っていうれっきとした医術なんだけど、悪い血を採る治療法。
常に顔面蒼白で表情なしの能面みたいが美人のヒケツよ!
これなら生まれつきの美醜はカンケーないから誰できるモテメイク!
この顔面蒼白美人時代はながいよ~~
中世ヨーロッパではモテメイク禁止だったじゃない?
女性は生まれつき罪深い存在で、化粧などして装い、男性を誘うことは厳禁!
ってこともあって、チークとか塗りたくらなくてもできるモテメイクとして、血の気のない貧血美人ね。
そしてルネッサンスで人間が本来の人間性を取り戻して生まれ変わった!
でも美白はもうエジプト時代から浸透しちゃってた‥
いまさらやめられないよ!
それにエリザベス一世は夫もなくたった一人で列強と戦わなければならなかった‥
女性として何で武装する?
エリザベス一世にとってバロックファッションは現代の契約を勝ち取りたいとき用の勝負スーツと同じ。
しかも女王なのでセクシーさをアピールするより能面みたいに表情を出さない貧血美人は政策外交推進にピッタリ!
威厳を保って威圧感満載にするために
- 見る人を圧倒する大きなカツラ
- 眉もおでこも剃り上げて白塗り無表情メイク
- ゴルジェラっていうエリでボリューム出し
- 鉄のコルセットで固くまっすぐ細長く人工的に整えられたウェスト
- スカートにも詰め物たっぷりで固いボリュームシルエットを保ってザ・権力を象徴
- 絢爛豪華な織物で権威性をアピール
白塗り無表情メイクは鉛入りの白粉を塗り重ねることでできあがる。
さらに静脈を描いたり、目の下を赤く塗ったりあの手この手で室内にいる人っぽい感じを出すの。
ひたすら威厳を、権威を、威圧を‥
ああ、息が詰まる!
だからバロックからだんだんロココの平和時になると貴族は恋愛が一番のお遊びに。
この時代のファッションリーダーは王族。
最もみんなはこの威厳ファッションをちょっと甘くコーデしてたけどね。
16世紀男子のモテコーデがおバカ、そんなんでいいのだろうか⁉
歴代美女だけじゃないよ~
男子のモテコーデだってぎょっとする。
コッドピース‥
オリジナルはラッツというもので中世ヨーロッパの農民の股間を保護する袋。
この頃のズボンはぴっちりしたスパッツ上で左右足別々に独立したもの。
それを上衣にひもで結び合わせるの。
一番下のシャツの裾が長くて、股下でロンパースみたいに交差させてパンツにするの。
だから保護袋で‥
だんだん左右独立スパッツのおしりは縫うように。
でもイタリアルネサンスの若いイケメンが短い上衣の全身ぴちぴち肉体美モテコーデ流行らせて‥
コッドピースを見せるのがフツーになっちゃった。
おじいちゃんとか上衣が腰まである長いの着てる人は股間だけさりげなく開けて見せるの。
16世紀のエリザベス一世の威圧ファッション時代に入ると‥
コッドピースにウールや馬のたてがみを詰めて固く大きく目立たせちゃうの。
しかも宝石で豪華に演出してみたり。
金属製のものもあったんだよ。
果物やコインを入れてバックにしたり‥
他にマッチョがイケてたからふくらはぎにパット。
太ももにもパット。
筋トレ?
そんなもんしないよ。
めんどくさいし、流行りのスタイルはすぐ変わるしね。
ヴィクトリア朝小尻流行りの10年後は大きなおしりが大モテ
ヴィクトリア朝半ばの1875年頃は小さなヒップのスマートな後ろ姿が流行ったの。
スマートエレガント思考ね。
だから後ろをリボンで留めたタイトなカタツムリスタイルがモテコーデに。
その反動でだんだん大きなヒップで足さばきのマシなスタイルが流行りだした。
1885年頃にはヒップは史上最大に!
「パリのヒップ」と呼ばれて大流行り。
バッスルと言われるニセヒップ演出器具を入れて、あの手この手で大きなヒップに。
クッション入れたり。
針金製の鳥かごみたいなものをウエストに取り付けたり‥
胴長美人、なで肩美人、筋トレしないでどうすんの?
歴代モテコーデを見てると気づくこと。
胴が短くなったり長くなったり。
短い首がやたらもてはやされたと思ったらいきなりなで肩になったり。
1820年代の短い首短い胴の流行↓↓↓
たった20年後の1840年代流行りはの首長胴長モテコーデ↓↓↓
短い足の次にすらりとほっそり美人の次は短い足じゃなきゃモテなくなったり。
1750年は短い足が大流行り!
スカートがデカければデカいほどモテた。
そうかと思えばフランス革命前夜の1785年頃はすらりと長い足が魅力的に。
ちょっと待って!
だったら現代のあたしたちにもそのヒミツを教えてよ!
そのヒミツは‥
筋トレじゃないよ~!
袖山をひじの方まで持って行ってなで肩に見せたり。
後身頃を小さくして肩幅小さくして、足長に見せて。
後身頃は手のひらサイズ!
ネックラインの見せ方研究して首を短く見せて。
コルセットで胴を長く伸ばして足を短く見せて。
いやはや下着がいくつあっても足りないね。
だからもちろんリメイクね。
そもそも生地が高かったし、手作りで刺繍も凝ってたから捨てられない!
フランス革命前夜超絶虚飾コーデ
フランス革命前夜のパリ。
これでもかってくらい世紀末虚飾コーデが流行った。
そこに髪粉かけて真っ白に。
髪結ったあと、マスクで顔を覆って小麦粉の髪粉をふりかけるの。
これはパンが買えない庶民からブーイングね。
その上にお船や旗、リボンにクッションなんでものせちゃえ~
更に白粉で分厚い白塗りの顏にして。
全身真白に‥
ベルベットを切ってハートや星にしたニセぼくろもつけちゃおう。
ぼくちゃんの梅毒のシミ隠しにもなるしね。
スカートは史上最大級にデカく。
パニエを入れて横幅出してね!
ピアノより大きくしないと。
美人はクサいが常識、お風呂は非常識!
もう一つ‥
モテコーデに欠かせないものと言えば香水!
なぜって16世紀ごろからなぜか入浴は体に悪いと思われていたからさ!
それ以前は人々はお風呂に入ってたヨ。
でも白粉や大きなヅラのせいで汗ホコリにまみれたゴージャスドレスは体臭がいっぱい。
洗濯もドライクリーニングもなし。
デート中にもぷ~~~ん。
でも体臭がクサイのはジョーシキだったみたい。
だから香水が発達したんだよ。
特に恋愛ブームだったロココの宮廷でね。
動物性の濃厚ジャコウ鹿エキス(麝香、ムスク)なんかが喜ばれたのよ。
まあでもオーストリアの入浴の習慣を持ってきたマリー・アントワネットね。
彼女は体臭がなかったから好みはラベンダーとか植物性の軽やかな香りで済んだけどね。
それに生まれつき絶世の白い肌だったからナチュラルメイクでよかったんだよ。
だからフランス革命前夜の虚飾コーデはだっさ~ってことに。
あっという間にすたれるの。
ここからモテコーデはナチュラルビューティーね!
纏足・コルセット、美人の条件達成のカギは骨折にあり!
中国の纏足って有名だよね。
小さいあしでよろよろ歩くのが美人の条件だったっていうあれ。
纏足って小さいときに足の指を内側に折り曲げる。
更にきつく布でまく。
骨が折れる。
小さい足の完成‥
でも中国だけじゃないよ。
コルセットもね。
だからあばら骨折って理想のサイズにしたコルセットの中に無理やりとじこめて。
昔の美女ってこっっわ~
それからきっついダイエット。
もちろんマリー・アントワネットもね!
ダイエットで有名なのはオーストリア・ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフの皇后エリザベート。
歴代美女代表、通称プリンセス・シシィ。
彼女は朝から晩まで美容体操に入浴、パック‥
170センチ以上あったのにウェスト50センチだったんだってさ!
ぶら下がり健康器もつかっちゃえ!
だって細いウェストや小さい足がモテるのよ。
モテないと行かず後家になって一生日陰者。
パパママの屋敷でお葬式みたいな生涯を過ごすの。
常識外れの最多求婚者が群がるザ・女性解放家は友達になりたい№1!
ザラ・カヌン・カジエ・サルタネ姫。
19世紀ペルシャ、ガーシャル朝の王様の8番の娘。
世界一モテた女性として超有名!
ん??
昔の美女だから??
でもちょっと待って!
イスラム教って女性は布かぶって家の中奥深くに控えてしんみり過ごすのが常。
家事しながら子供を産んで子孫繁栄させるのことこそ彼女たちの仕事。
でもそんなイスラム教女性だって、
なんかつまんないなぁ~
しばられてていやだなぁ~
とは思ってたみたい。
世間一般では、人前どころか家の中でも足を出すなんてもってのほか!
顔をさらすのもデコルテ出すのもダメ!
体の線はなが~い衣で覆っておきましょう。
それもそのはず、タージ・サルタネ姫はペルシャデでほっかむりを脱いで西洋の洋服を着た最初の女性!
タブーのヴィクトリア朝ファッションに身を包むのだ~!!
イスラム圏では生まれつきのものに加工しないことがいいことだったからいいの。
このカッコで145人にプロポーズされた。
そのうち13人は姫をふり向かせようとして狂言自殺。
で、ホントに死んじゃった‥
ミニスカでキメたり。
自由奔放!
イランのフェミニストグループの著名な創立メンバー。
しかもサルタネ姫は画家であり知識人で作家で活動家でバイオリンを弾いた!
週一の彼女の文芸サロンは知識人と求婚者でごった返し。
タブーをやぶって王室で最初の離婚までやってのけた鉄人!
残されたから写真からきっぷがにじみ出てくる。
ああ、この人と友達だったらきっと愉快に豪快にそして繊細に暮らせるだろう。
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