この記事では書ききれなかった
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ウィンザー城のアルバート公子とヴィクトリア女王、夫妻の長女ヴィッキー エドウィン・ランドシーア 1841長~い長いヴィクトリア朝時代!
ヴィクトリア朝はイギリスのヴィクトリア女王の治世でなんと1837年から1901年まで!
その中でファッションがたったの10年ごとにぜんぜんちがう流行りなのはなぜ?
そして新発売下着がこれでもかと繰り出されたのはもちろん新技術のおかげ~!
下着の歴史を紐解けば経済産業の発展まで見えてくる!
過去は新しい流行を作るときの基礎になる!
たった20年でこんなに違うヴィクトリア朝ドレスにびっくり!
まずはクイズね。
①②③の画像を古い順に並べられる?


正解は②→①→③ね!
①と③で迷うよね~
続いて
画像①と③の年代は?
正解は
①は1840年で
②は1860年!
①と②のスカートのデカさはぜんぜん違うけど、その差はたったの20年なんだよ!
知ってた?同じヴィクトリアンスタイルだけど全然違うのはコルセット
②は古代エジプトのルーズ服
パピルス草を収穫するエジプト農民たち。デイル・エル・メディーナ ラムセス時代 初期 墓の壁画 wikipediaまだ立体的でない絵の描き方だし、パターン作成技術のない簡易な衣服ですっごい昔とわかります。
古代エジプト、ギリシャなどでは布にドレープを寄せただけ~、くらいのゆったりとした衣服を着用。
エジプトは暑いし、まあまだ縫製技術もなかったし、それで十分だったから。
ところでこの時代の下着はふんどし状の腰巻だけだよ。
ぜんぜん補正しないルーズなボディラインにも表れてるよね?
さあ、問題は①と③。
①、③たった2つの注目ポイントとは?
どちらも素敵な姫ドレス‥一体何が違うの~~??
この2つのモデル、20年もの開きがあるって言ったよね?
今でも1980年と2000年って言ったら流行全然違うよね?
これを間違うと、映画衣装では時代考証の痛いミス!
だから徹底しないと。
- 胴の長さ
- スカートの形
だけ!!
ファッションプレート corriere delle dame ミラノ1843年3月25日①1840年モデルでは↑↑↑
- 長~い胴
- ウェストからちょっと上にまるくふんわり広がって小さめな裾
ファッションプレート corriere delle dame ミラノ1863年1月3日②1860年モデルでは↑↑↑
- やたら短い胴
- ウェストから三角ストレートに広がった巨大な裾
比べて見ると、全然違うよね?
1860年では20年前に比べてコルセットがなんと半分の長さになってるよ!
つまり20年で人体の胴の長さが半分になった⁈
ヴィクトリア朝初期の下着大革命はコルセットと○○から!
この胴の長さが半分になった過程には歴史のヒミツが‥
①の1840年まではある発明がなかった。
1840年代4段フリルのペチコートなのでスカートを膨らませるためにアンダースカート、つまりペチコート着用。
しかもフリル4段も重ね!
1839年 ファッションプレート
1840年のドレスはドレスのすそが内側に入って足に絡まって転んじゃうの。
だから女性はおとなしく家に‥
クリノリンを着つけるお嬢様それが産業革命たけなわの1850年代後半、『クリノリン』発明!!
新しい超軽量素材、クジラのひげと針金で出来たクリノリンというスカートの下に入れる鳥カゴの発明です!
1863年クリノリン何が違うってこの二つ、ドレスの揺れるさま、ドレスの動きがぜ~んぜん違います。
それに身軽になった女性は動き出すのです!!
1860年 クリノリンのすそにオーガンジーのフリルがクリノリンはあまりにもデカくなって超重たくなったドレスの重さを分散させるの。
それから下に付けたオーガンジーのフリルがドレスのすそを足から離してくれるでしょ。
だからドレスのすそに足が絡まっては転ばない。
女性も外に!
いたるところにある犬のフンをよけきれなかったら転ぶけどね。
ファッションプレート corriere delle dame ミラノ 1857年 クリノリンが出始めたころの宣伝私を怒らせる(rabbia)つもり?
こんな鳥かご(gabbia)で何するのよ?
とにかくどんどんデカくなるスカートとバランスを取るためにコルセットの丈がどんどん短くなったの。
クリノリンがあっという間にすたれたたった一つの理由
でもこのクリノリン、あっという間にすたれて1870年にはもうスカートは小さくなり始めるの。
そのたった一つの理由は不便だから。
どんなにステキな見かけでも不便だったら長続きしない。
いくらドレスのすそをふんで転ばないとはいえ、デカいスカートが家具にぶつかって転んだの。
それにスカートがジャマで親しい人に近づけない!
暖炉の火が引火したり!
年間3000人がクリノリン事故で死亡。
だからアッと言う間に巨大クリノリンはすたれちゃった。
稼ぐのにファッション史を使うってどういうこと?
ところで
稼ぐのにファッション史を使うってどういうこと?
それはファッション史を自分の引き出しの中にストックすること!
そして必要な時に自由に取り出して使い、遊びながら、新しいアイデアにする!
どんな高名なデザイナーだって全くの無からデザインを生み出しているのではないのです。
そしてこれは、アパレル系バイヤーさんでもショップ店員さんでも
ファッションデザイナーでも衣装デザイナーでも同じく必須の基礎!
本を暗記するだけではなかなか頭に残らないから。
本当に自分の頭の中からファッション史をもとにしてアイデアが湧いてくるように。
それでアオキが体験したファッション史を一緒に追体験しているんです。
例えば
その時①1840年モデルから出発するか、②1860年モデルから出発するかで出来上がりシルエットとパターンの作り方は全然違うよね?
生地の用尺が全然違うので、予算も変わる。
1950年代のニュールックだって②1860年モデルのリノベーション!
技術の進化で中でスカートをふくらませているのはクジラの髭じゃなくて化繊だけど。
量販店のフレアスカートだって②1860年モデルから出発。
ウエスト部分を②1860年モデルにすると生地の用尺が少なくて済むから。
1840年のパターンにしちゃうと当時ウエスト部分にまだタックを入れてなかった。
だからスソの円周分と同じ生地の分量をウェストで始末しないといけなくなるよ。
完全ギャザースカートね。
バルーンスカートは①1840年モデルの、ちょっと丸く膨らむシルエットのリノベーション。
①1840年モデルは生地をたくさん使うので、結構お高くはなりますね!
こうやって過去の見本を見てしまえばゴールにたどり着くまでショートカットできるよね!
まとめ
- 1840年シルエットは小さく動きにくかったため女性は引き込もりがち
- 1860年シルエットはクリノリンの大発明のおかげでスカートが巨大化
- でも不便だったのであっという間にすたれた
1840年のドレスのデザインとファッション史、作り方はここ>>1800年代のドレスを作ってみた!フランスのコレがお手本!
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