
ファッション史上最も華やかなファッションリーダーが主役の映画だからね。
おしゃれに国庫つぎ込んで国家破産寸前で
フランス革命引き起こされちゃうくらい
自分のファッションポリシー通したんだから、当たり前。
もしあなたが
子育てに疲れたり、転職がなかなか成功しなかったり、
夢が実現しなくて不安な時、ふられちゃって絶望‥
ウツウツしてちょっと疲れたなあ女子なら迷わずこれを読んでね^^
華やかロココ時代に出発~
目次
優雅で軽やかなロココ美は1730年、ルイ14世時代に流行!

フランスブルボン王朝最盛期の太陽王ルイ14世の時から流行。
だから豪華で華麗で優美なのは納得!
それが建築全体に広がってロココスタイルが出来上がったってわけ。
それまでのバロックスタイルは無敵艦隊で盛栄を誇ったスペインの栄光が濃くて威厳・荘厳がメイン。

でも安定してきた宮廷人にはだんだんロココの方があってきたんだね。
ってのもかなえられる♪
私がマリー・アントワネットに詳しいのは映画製作に参加したから
2006年公開のハリウッド映画、ソフィア・コッポラ監督の『マリー・アントワネット』はあまりも有名だよね?
私はラッキーなことに衣装制作に参加。
主役のマリー・アントワネットの衣装合わせの時、キルスティン・ダンストのコルセットを絞めたりね。
なぜそんなところへ行けたのか、詳しくはプロフィールを読んでみてね。
海外で働くことのヒントになるよ^^
この制作中に一番聞いたのは「一人の女の子としてのマリー・アントワネット♪」

マリー・アントワネットは1755年ウィーン生まれ。
2大セレブの11女よ
パパとママはマイケル・ジャクソンとマドンナよりセレブ!
で、トランプ大統領より超権力者。
だって中世から超権力者はローマ法王じゃん。
一国じゃなくてヨーロッパ全部のね。
マリー・アントワネットは超近代的で自由な考えを持ってて、
普通のティーンネイジャーとして青春を謳歌して生きたかった。
でも、もちろん許されなかった最高に高貴な女の子。
軽薄で集中力がなかったって言われるけど、こんな素敵なものに囲まれてたらどうよ?
しかも生まれながらにして超特権階級で全部かなっちゃうことは知ってた・・
でもママが厳しくてなかなか思う存分贅沢遊びは出来なくて。
しかも彼女にとって絶対王政の君主制が当たり前の正義なら、革命も市民の台頭も大反対、だよね??
ところでこの絵のドレスに注目!
小さいヘアスタイルと長い胴だよね?
これは1740年から1760年までのロココの特徴。
ちなみに現代のようなマカロンは1832年パリのダロワイヨの生まれ。
映画ではラデュレ監修だよ。
なんでこの映画に出てくるかって?
かわいいから。そんな感じがするから。
ソフィア・コッポラ監督の目を通したマリー・アントワネットだから。
この記事の画像もマカロン。だってかわいいから。
映画の途中にコンバースが出てきたりと、
何かとソフィア・コッポラ監督視点の映画。
そこんとこ史実と全然ちがうヨ!
史実を再現するなら映画を作る意味ないでしょ、だって。
確かに。
1750年頃から映画でおなじみのパステルカラー大流行!

光沢ある軽い極上のシルクサテン、タフタ、ベルベット、コルドナーティ、モワレ、ファイル‥
ピンク、水色、エメラルドグリーンに薄いグレー‥
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前の荘厳バロック時代だったら考えられないよ!?
1770年代はルイ15世の絶対王政安定期で王様がファッションリーダーだった時代。
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彼の治世64年間ずっと優美で軽やかロココ時代。
ちなみにこの絵、ネットでよくルイ14世って書かれてるからご注意!
きっとこの国王のガウンのせい。
これは王様しか着られない制服みたいに代々着てるよ!
背景はまだまだバロックっぽいよね。
ひいおじいちゃんのルイ14世はベルサイユ宮殿を建てた人だよ!
素質大ありのマリー・アントワネットも当然ファッションリーダーになるよね?

もともとのお顔はそんなに美人ではなく、薄~いお顔。
キリスティン・ダンストだってそうだよね?
そしてこの薄さはロココ時代に流行った美だよ。
薄いからこそ、ファッションとメイクでもっと素敵に自分をアピールできちゃうよね?

↑これはルイ15世とのお見合い肖像画。
すでに盛りヘアの兆しが・・
1770年、フランスへお嫁に行ってファッションリーダーに!
マリー・アントワネットは1770年の14歳の時にフランスへお嫁に。
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なるほど、なんか納得。
そしてこのあたり映画で乙女心をキュ~~ンのたっぷり超豪華衣装として有名だよね!

この軽やか優美なロココスタイルに加えて、
1760年代から小さい胴体とデカいスカート、デカい頭が流行。
1780年に向かって史上最大級のデカスカートデカ頭に~!!!
もっとも~~っと、超巨大になって行くよ~。
ヘアスタイルで虚栄心の競争ね^^
そうそう、このころもうヅラは流行らなくなっちゃうんだ。
100年もかぶってたのにね。
地毛の高さを出すためには、頭にトゥペというニセ毛を入れてたよ。
超野心家やり手実業家髪結いのレオナールくんの登場。
二人の庶民ローズ・ベルタン嬢とレオナール・オーティエ君 が牛耳るパリ社交界!
理髪師ははしごで盛りヘアのてっぺんを整えないと。

ところでこの虚飾趣味なマリー・アントワネットのファッションは一人でやってたんじゃないよ。
王妃はじめ顧客たちを衣服費で破産させるほどの流行を作ったのは?
ファッションデザイナーのローズ・ベルタン嬢と
髪結いレオナール・オーティエくん。
磯見仁月さんの「傾国の仕立て屋ローズ・ベルタン」(新潮社)、読んでみてね!
やっぱり漫画は楽しくてわかりやすい。歴史学習に最適^^

これがかの有名な「船盛りヘア」よ!
作るのに5時間はかかるんだから。
頭がかゆい時手が届かないじゃない?

羽根にリボンにキャップ、花にオーガンジー、がっちり糊付けしたチュールをたっぷりね~^^
髪の中には針金の鳥かご状のものを入れて、と。
毎朝理髪師の創造力の見せどころ。

お化粧たっぷりおしろいで真っ白に!
化粧マントを羽織って化粧部屋に閉じこもるの。
お口は小さく真っ赤に、赤い頬紅、つけぼくろ、とにかく人工的に!
あ、もちろん男女ともにね。
この辺はもう風刺詩集なんか出ちゃってパリ市民の笑いを取っちゃうんだけど、やめられないの。

首にはピエレット↑↑っていうピエロのえり飾りみたいなレース。
リボンや真珠で飾ってね。
ベルベットのリボンに真珠を通したものを、映画撮影のために何個も作ったよ。
田舎出の一庶民、ローズ・ベルタン嬢は髪結いを経た後、
パリで「オ・グラン・モゴル」っていうドレスのお店を開くよ!

髪結いレオナール・オーティエくんもやっぱり一旗揚げようと田舎から出てきた庶民。
この野心にまみれた虚栄心たっぷりの庶民二人が、
ファッションリーダー王妃マリー・アントワネットの寵愛を一心に!!
庶民二人の超人的なバイタリティーもだけど、当時で平民を起用しちゃうマリー・アントワネットの流行美への執着がすごくない??

レオナールくんは王妃と一緒に超競争心をあおってそびえる「プーフ」って髪型を生み出したり。
二人が田舎から持ってきたのは
- マーケティング力!
- 夢を絶対あきらめない不屈の精神!
だけ。
これは世界共通の夢叶え術だね!
レオナールくんは髪結い学校まで作って後世の育成にも貢献したかったんだけど。

フランス革命でもう散々な目に。
人工的なヘアスタイルは流行らなくなっちゃうし。
ま、持ち前のずる賢さで細々世渡りしちゃうんだけどね。
パリ貴族の香水はもちろん体臭隠し、マリー・アントワネットも?
お風呂に入ると梅毒にかかるって思われてたんだ。
国王の入浴回数は一生/3回…ナイショね。
だからお貴族様たちは濃厚なねっとり動物系体臭消しの香水でごまかしてたんだね。
マリー・アントワネットはきびちいセレブママのおかげでお風呂が大好き^^
それで軽やかな香水をちょっと振るだけでよかったんだよ。
だからバラなんかの若々しい清楚なハーブ系香水を流行らせちゃうよ~^^
1774年、18歳で王妃に
1774年、なんと18歳の時に王妃になっちゃうんだ。
↓↓歴代ルイとおそろいブルボン朝のシンボル百合模様のガウン持ってるでしょ?

彼は理想の男性像だったけどカトリック&王妃&マリア・テレジアの娘としてのモラルから思いとどまったり。
超人間味あふれるフツーの女の子だよね♥

このランバル公妃はマリー・アントワネットの女官長ね。
ヘアスタイルもスカートも大きく、二人一緒だとなんか部屋が狭いな。

1775年の19歳の時にプチ・トリアノンもらっちゃうよ~るんるん
この辺からマリー・アントワネットは自然へ回帰し始めるよ~

でもまだまだベルサイユ宮廷ではこんなカッコ。
プーフヘアと超デカい姫ドレスね。

パニエってデカ~!ドア通れんの?日本初公開パニエの秘密

デカスカートの中にはパニエ↑を入れて膨らませて。
えい、カニ歩き!
なんてことしたら即追放!
絶対お顔と胴は正面向いて、スカートを上にもち上げてスリムにして通るんだよ!いい?
ある仕組みのおかげでこれが出来るんだな。
これ、超貴重画像↓↓日本初公開。
パリで撮ったんだけど、パニエの中身。
竹?木?
奥側片方を上に上げてるのがわかる?

1780年からフランス革命目前
1780年、王妃マリー・アントワネット24歳。
ウェストラインが上に上がってくるね。

ヘアスタイルは相変わらず大きいけどナチュラルっぽくね。

おやおやスカートは小さくなっちゃうよ!
もっともっと小さい胴に大きな頭ってどうよ。

1770年後半から80年代にはポロネーズ大流行!
よくお姫様の塗り絵に描かれてるカーテンみたいな飾りだよ。

これはヒップ下まであるジャケットをリボンで上に盛って結ぶ優雅な盛りスカートスタイル。

長椅子に座った時にかわいらしいから流行ったんだよ。
とにかく小花模様や日本のカスリみたいな軽~い生地で。
しっかりした重たい生地はヤボだよ。
↓↓これは別の映画のために私のチームが作ったドレスだよ。
7人でも大変な大作業。


こんな感じで上のジャケットの後ろを好きに盛って上に上げてね。
中にリボンが縫い付けてあるよ。

フランス革命直前の頃のパニエね。
注意!本物じゃないよ、私たちの作ったもの。
チュールで簡単に軽くなってるよ~

これは映画『マリー・アントワネット』の衣装合わせの時に撮らせてもらったんだよ。
後ろの盛りスカートが良く見えるね。
キルスティン・ダンストさんも着ていたけど肖像権があるのでここには載せないね。
ところでお地味な夫の国王ルイ16世が錠前づくりが大好きだったのは結構知られてるよね?
そのルイ16世が大好きだったのはギリシャローマ建築。

お地味かと思いきや進歩的過ぎたんだね。
装飾過剰のくねくねロココと違ってシンメトリーな均衡美だよ。

この時代にポンペイに埋まってた遺跡たちが再発見されちゃうんだ。
そんでナポリ宮廷風も流行っちゃうんだよね。
ココですでにネオクラシックの「ギリシャローマ流行り再び!」の下準備がされちゃうんだよ!
この辺のロココ末期流行色は相変わらず軽やか優美なパステル色だからね。
映画の準備期間中、ローマとロンドン、パリからパステル色のシルクが消えたの。
我々が買い占めたからね^^
でもその時のバッセッティ老舗生地屋が最近火事で燃えちゃった。
1785年、マリー・アントワネット29歳で王妃の首飾り事件。
金塊1トンに相当する額のかたり詐欺事件に巻き込まれて負けちゃうよ!
まだアラサーなのに巨額すぎないかい?
フランス革命直前はヘアスタイルもファッションもボリュームがなくなってくるよ~
ルイ16世が準備したエンパイアスタイルになる直前。
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マリー・アントワネットの自然への回帰と一緒になって流行りもナチュラル志向にかわってくるね。
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って言っても貴族の田舎ナチュラル志向だから人工的なんだけど。
きれいにされた家畜、ちゃんと工芸師が作った乳搾り桶とかね。
とにかくシルクより綿のモスリンが流行っちゃうよ!
でも寒いパリでギリシャ風の生地で流行りを追って、肺炎で死んじゃう女子続出!

これがマリー・アントワネット最後の姿↓↓

最期なのにハイウェストのエンパイアスタイルの先駆けなのがわかります。
そしてフランス革命のあとは古典回帰のエンパイヤスタイルにつづくのです!!
以上がマリー・アントワネットのドレスの特徴。
18世紀フランスのファッションといえばポンパドゥール夫人とマリー・アントワネット。
中でも華麗に花開いたのがロココ中後期。
軽やかロココファッションの肝はやっぱりパステルカラーだよね。
そうはいっても
ロココのドレスの構造ってめんどくさ~
だけど大丈夫。
18世紀フランスのファッション網羅したから↓
豪速で変わるロココファッションを
絵画でジロジロ見よう!
- ローブ・ア・ラ・フランセーズ
- ローブ・ヴォラント
- アンドリアン
- マンチュア
- ローブ・ア・ラングレーズ
一体同一人物なのでしょうか?
まとめ
ファッションリーダー、マリー・アントワネットの作った流行についてみて参りました~!
彼女へのプレゼントに迷っている男子は
迷わずここの画像のようなパステルカラーのものにすればバッチリ。
それでも迷ったらマカロンね(笑)
※映画『マリー・アントワネット』の画像は監督のご厚意により掲載しています。ライセンスがありますので無断転載は絶対に禁止です。