残酷すぎて向かないのかな?
マイナーすぎて話す時間がない?
でもウラ話が実は誰にでも楽しい歴史探求の入り口なんだよ!
ファッション史の専門家の私が、実際に子供向けのセミナーで話してることを書いちゃうよ。
子供の心をつかむには歴史の残酷な真実や奇妙な習慣ウラ話から入るのが一番!
目次
生きながら皮をはがれた聖バルトロマイ-ウラ話①
はじめは美術史に不可欠な聖書のこれでもかってほど残酷な話ね。
写真がなかった時代、絵は記録しておくものとして大活躍!
ほぼ文盲だった庶民に出来事をわかりやすく伝えるために絵は使われたんだよ。
聖バルトロマイはイエス・キリストの12人のお弟子さんのうちのひとり。
キリストは人間はみな平等だといいました。
それで当時はキリスト教は王様に反対するものとして禁止したの。
王様一人がエライ方が都合がよかったからね。
キリスト教の人々は王様からキリスト教であることをやめるように言われたの。
それでもキリスト教の人々は自分の信念を曲げなかった。
この聖バルトロマイは生きながら皮はぎの刑にされました。
それでもキリスト教信者という信念をつらぬきました。
今では聖なる人としてまつられてるんだよ。
車輪にくくり付けられて惹かれたあと首を切られたアレクサンドリアの聖カテリーナ-ウラ話②
聖カテリーナは紀元後285年にエジプトのアレクサンドリア生まれ。
アレクサンドリアは現代まで2350年間も続く大きな都市!
昔は世界一の大図書館、アレクサンドリア図書館があったところ。
でもこの大図書館はなぜかだんだん消えちゃった。
ある日キリストの幻をみたカテリーナはキリスト教信者になりました。
それからローマ皇帝マクセンティウスのところへ行きます。
ローマではそのころキリスト教信者を迫害してた。
キリストより皇帝の方が偉くないと統治できないからね。
キリストはみんなが平等で世界を治めるのは愛だと言ったので、皇帝には都合が悪かった。
カテリーナはローマ皇帝にキリスト教信者の迫害はまちがっていると言います。
それでカテリーナは牢屋へ入れられてしまいます。
それから車輪に手足をくくりつけられて転がされるという拷問をされます。
それから聖カテリーナは首を切られます。
実在していなかったとも言われますがカトリック教会は彼女を聖女に定めています。
このお話は多くの画家をひきつけたくさんの絵が描かれたんだよ。
その一つがイタリアの女流画家、アルテミジア・ジェンティレスキの絵。
折れた車輪と知性の象徴である羽ペンが一緒に描かれています。
大変な才能の持ち主だったんだけど、男性しか美術学校に行けない時代だったのでとても苦労したんたんだよ。
火あぶり煮え湯、日本のキリシタン弾圧-ウラ話③
日本に初めて公式にキリスト教をもたらしたのはイエズス会のフランシスコ・ザビエルで1549年のこと。
織田信長は自分の考えに合っていたのでキリスト教を歓迎。
でもだんだんキリスト教信者が仏教や神道を迫害するようになったの。
それからだんだんキリスト教禁止令は厳しくなって行きます。
キリスト教信者は拷問されて仏教になるように言われるの。
それがこの上の絵図。
カトリックのお坊さんが火あぶりにされているのが描かれてる。
日本人の信者は刀で切られています。
雲仙普賢岳の噴煙の中に突き落とされたり。
ありとあらゆる残酷な拷問が続く‥
これは江戸時代が終わるまでずっと続きます。
ところでザビエルの手は聖遺物としてイタリア、ローマのジェズ教会に今でもまつられてるよ!
聖遺物というのはカトリックの習慣。
亡くなった聖人の体の一部を大切に保管してまつることです。
フランス革命のあと、おしゃれのしすぎで肺炎に!-ウラ話④
流行りを追いすぎて死んでしまう子もたくさんいたんだよ。
流行を追うのもほどほどにね!
1789年にはフランス革命がおこります。
これは王様という制度をやめて国民は平等になろうということです。
何百年も続いた王様をやめるということは歴史上の大事件!
これでファッションまで変わってしまいます。
革命の前のフランス最後の王妃マリー・アントワネットの時代までは重たい豪華なドレスが流行ってたんだよ。
動きにくくて、とても高いシルクをつかったドレス。
スカートはピアノくらい大きかったの!
革命で王様に立ち向かったパリ市民はそんな大げさなドレス時代おくれでカッコ悪い!って言ったの。
それでこんなギリシャ時代のかんたんなドレスを流行らせたんだよ。
布が少なくて動きやすいし値段の安い木綿をつかったんだよ。
ヨーロッパで前はインドから輸入しててとても高かった木綿。
ところがフランス革命ごろに蒸気機関が発明された。
このおかげでイギリスやフランスでは自分たちの国で強い力で速く木綿を織れるようになったの。
だから木綿が安くなって市民も買えるようになった。
この木綿を使ってギリシャ風のドレスを着ることにしたのはいいんだけど‥
ギリシャってどこにある?
そう、南の方だよね?
パリやロンドンで冬にそんなうすい木綿のドレスを着ていると寒いの!
でも女の子たちは流行のドレスを着るのをやめなかった。
それで肺炎になってしまったの。
死んでしまう子もたくさんいたんだよ。
健康を害する細いウェストには要注意!-ウラ話⑤
ギリシャ時代の昔から細いウェストはみんなのあこがれだったの。
でも生まれつき人間のウェストはそんなに細くできていない。
だからコルセットというウェストをしめる道具をつかったの。
1500年ごろのコルセットはなんと鉄でできてたの!
ここに人体を押し込めて体型が戻らないように留め金をかける‥
1700年には細い細いなが~いウェストがはやったの。
これはろっ骨を折ってコルセットのなかに納める人もいたくらい。
そう、あの人、マリー・アントワネット。
1900年には植物のツルみたいに曲がった家具のデザインがはやったの。
だから人間のウェストも曲がってるのがはやっちゃった!
いつの時代にも人間のウェストをねんどみたいにコルセットで無理やり曲げてね!
そいうしたらだんだん内臓が正しい位置からずれちゃった。
だから早く死んでしまう女の人がたくさんいたの。
それで1910年ごろに健康に悪いからってことになってコルセットはやっとはずされるの。
イエス・キリスト、ホントにいた証拠!-ウラ話⑥
有名人だけどむかしのことだからよくわかんないよね?
でもイエス・キリストがいたっていう証拠があるんだよ!
イタリアのローマにある教会にこのヒミツを解くカギが!
クオバディス教会っていってね。
アッピア街道の始まるあたりに今でもあります。
ここにあるのは足型。
2000年以上も石を信者がさわったからつるつるになってるね。
イエスが十字架にかけられた後、ローマではネロ皇帝がキリスト教信者を迫害するの。
ある日大きな火事になって、それがキリスト教信者のせいだってうわさが広まって‥
キリスト教信者は復讐をおそれて逃げたの。
キリスト12人のお弟子さんのひとり聖ペテロもおなじ。
そしたらこの場所で十字架をかついだイエスに会ったの。
死んでしまったはずのイエス!
聖ペテロがびっくりして
「クオバディス?(主よ、どこへ行くのですか?)」
って聞いたら‥
イエス「あなたの代わりにもう一度十字架にかけられに行くんです」
と答えたんだって。
クオバディスって言うのはラテン語。
昔の教会で使われてた難しい言葉。
一般の人はわからなかったんだよ。
とにかくこれが教会名の由来。
聖ペテロは自分がキリスト教信者をみすてて逃げていることが恥ずかしくなってローマに戻る‥
まもなく皇帝の手先に捕らえられます。
ローマにはフォロ・ロマーノというローマ時代の世界で最も重要な遺跡のうちの一つがあります。
そのすぐ近くのマメルティヌスの牢獄。
ここに聖ペテロはつながれました。
地下の牢獄へのドアはなく、上の階の床に穴がただひとつありました。
写真の光が出ている天井のあながこの地下牢へのあなです。
ここから聖ペテロは床下に投げ込まれました。
これで頭を打ち、骨を折り、死んでしまう囚人もたくさんいました。
脇に水が流れていて死体は自動的に流れて行きました‥
今ではこの牢獄はサン・ピエトロ・イン・カルチェレという教会です。
聖ペテロは奇跡的に助かります。
そこでここから十字架にかけらて処刑されることになりました。
でも聖ペテロはイエスと同じように処刑されるのは申し訳ないことだ思います。
そこでローマ兵に逆さまに十字架にかけてもらようたのみます。
聖ペテロは死んでしまったけれど彼はキリスト教の発展の大事な礎(いしずえ)になります。
そして亡くなってから聖ペテロは初代法王に。
上の絵は世界でもっとも有名な絵のひとつ。
カラヴァッジョの作品で背景色と登場人物の心の明暗がドラマチックに描かれています。
こうして聖ペテロが逆さはりつけになった場所はお墓としてキリスト教信者にお参りされるようになりました。
はじめはとても小さなほこらだけがありました。
でもキリスト教の人たちがどんどん大きく飾っていって‥
イエス・キリストってどんな顔-ウラ話⑦
実はイエス・キリストの顏は世の中に何回も現れているのです。
イエス・キリストがゴルゴダの丘で十字架にかけられる日‥
イエスは自分で重い十字架をかついで暑い丘を登っていました。
頭にはローマ兵がからかってのせたいばらの冠が‥
このとげがおでこにささって血が流れました。
これを聖ベロニカっていう女の人がふいてあげました。
すると奇跡がおこってその布にキリストの顏があらわれたのです!
他にもキリストの体を包んでいたと言われる布があります。
イタリアのトリノの聖ヨハネ大聖堂に聖骸布として残っています。
この布には人間の血のあとが残っています!
この布に写真の技術を使うと人間のカタチがあらわれます!
これは1353年に発見されてから今まで本物かどうか、まだ研究されています。
昔は命を賭けるくらい高くて今は100円で買えるものってなに?-ウラ話⑧
昔は高かったけれど今は安いものってたくさんありますよね?
その一つに人々が命を賭けてまで欲しがったあるものがあります。
昔は金と同じくらい高くて、それがないと生きていけなかったもの。
今では100円ショップにも売られていて、これがなくてもかまわないものです。
さあ何でしょう?
これがなくても良くなったのはある電化製品の発明があったから。
そして人々がどんなに欲しがったかというと、大海原を未知の世界へ旅するほど!
答えはコショウ!
ただのコショウがこれほど高かったのです!!
国によってはお給料がコショウだったほど!
コショウは冷蔵庫がない時代、お肉の保存に使われていました。
狩りでシカをしとめたら、食べきれないくらいのとても大きいお肉になるよね?
冷凍庫もない時代はコショウをかけて保存しておいたの。
それに昔の人が何よりおそれたのは疫病。
疫病はくさいにおいで広まると信じられていたから、コショウでにおい消しにしたの。
でもコショウはトルコやベネチアの商人だけが手に入れられてとっても高く売ってた。
航海技術が今ほど発達していない昔は、コショウを求めての海の旅はとても危険だった。
10人に1人しか帰ってこられなかったの。
でも成功すればどんな貧乏な人だって一夜にして大金持ち!
だからみんなどうしてもベネチア商人からじゃなく直接安くコショウを手に入れて高く売りたかった。
そんな人々はがんばってインドまでいく船の道を探検しました!
これが大航海時代のはじまり。
大航海時代は15世紀のポルトガルやスペインから始まったんだよ。
ポルトガルやスペインからずっと南に行ってアフリカ大陸をぐるっと回ってインドへ!
このあと探検が進んでコロンブスが1492年にアメリカ大陸を発見するよね!
さらに探検が進んでいろいろな国を植民地化してヨーロッパにコショーが大量に輸入できるようになってこんなにお安くなっちゃった。
まとめ
- 殉教者だから生きながら皮をはがれた聖バルトロマイ
- 殉教者だから車輪にくくり付けられて惹かれたあと首を切られたアレクサンドリアの聖カテリーナ
- 火あぶり煮え湯、日本にもあったキリシタン弾圧
- フランス革命のあと、薄物が流行!寒いイギリスでおしゃれのしすぎで肺炎に!
- 健康を害する細いウェストには要注意!骨も内臓も曲がって死を招く
- イエス・キリスト、ホントにいた証拠はローマに!
- イエス・キリストの顔のあとは今も残っている
- 昔は命を賭けるくらい高くて今は100円で買えるようになってしまったコショー
というお話でした~