プロフィール

3章 イタリア国立映画実験センターに入って衣装デザイナー

イタリア国立映画実験センター

2章イタリアでテキスタイルデザイナーの続きです。

デザイナーになるのに才能は要らない

一年ばかりイタリアのテキスタイルデザイン事務所でデザイン哲学を叩き込まれていた私。

でも・・

映画実験センターに受かった友人トンマーソの話を聞いて、

すぐに私は映画や舞台の衣装デザイナーになりたくなりました。

 

今だから言いますが、衣装デザイナーに最短最速でなるのに才能は要りません。

何のコネもない私のとった確実な方法は

『名刺代わりになるくらいネームバリューのある機関を卒業すること』でした。

 

デザインコンクールで優勝する方法は、1人しかなれませんから。

 

 

そしてイタリアでは映画が巨大産業です。

イタリア全土の紀元前から残る本物の遺跡やお城ですぐに撮影できますから。

 

そんなイタリアの最高峰の映画研究所は

Centro Sperimentale di Cinematografia。

通称CSC、日本ではイタリア国立映画実験センターと呼ばれます。

映画実験センター

 

 

 

 

 

 

 

 

当時ヴィスコンティ監督の衣装デザイナー、

ピエロ・トージ氏が教鞭を取っていました。

ヴィスコンティ映画、『山猫』の撮影で引き出しが空っぽなのに

激怒されて急いで引き出しをいっぱいにしたご本人ですね!

山猫ルキーノ・ヴィスコンティ監督 映画 『山猫』

 

 

 

 

 

 

もう一人、舞台美術コース担当は美術監督アンドレア・クリザンティ氏。

ジョゼッペ・トルナトーレ監督の

『ニュー・シネマ・パラダイス』の舞台を担当した人です。

 

そしてヴィスコンティ映画の撮影監督のジョゼッペ・ロトゥンノ氏までいる

という豪華ぶり。

 

受験は3月の書類審査から12月の2次試験終了までと、長期間。

年間各コース6名以下しか合格出来ません。

 

そんな難関校へ私はどうやって合格したのでしょうか?

答えはただの合格者リサーチです。

私は前年度合格したトンマーソに話を聞きました。

 

試験はシナリオを渡されての衣装と舞台美術のデザイン。

「その時そこそこの作品を100枚描かないこと。

1枚でもいいから完璧なデザインをすること。」

量より質ですね。

 

私は成功した先人の方法を実行しただけ。

 

初めて会った実物の巨匠たち。

有意義な試験期間となりました。

 

結果、日本人では初めての合格者となりました。

首席になって奨学金も勝ち取りました。

 

これが私の映画衣装デザイナーとしてのスタートでした。

 

ちなみにイタリア国立映画実験センターの学費は年間0~10万円ほどです。

 

 

この映画実験センター時代からはいろいろ面白いことがあります。

フランスの大女優、

故ジャンヌ・モローさんと映画衣装について大事なお話しをしたことも。

 

カンヌ・ヴェネツィア映画祭受賞者のフランチェスカ・アルキブージ、

『楽園の中へ』のパオラ・ランディ監督、ドメニコ・ディスティーロ監督、

そのほかたくさんの映画の衣装デザインをするようになりました。

 

 

ウォン・カーウェイ監督といっしょに自作の映画「2045」を観たとき・・

終わってから監督を見ると、映画館なのにサングラスをしていました。

自分の作品は観ない主義?

見飽きちゃった?

日本は制作費が高いから日本で作れないよ~と言っていました。

 

またある時はメル・ギブソン監督がイタリアで映画『パッション』の撮影中。

衣装デザイナーから造花を一日100個作るよう言われました・・

毎日100個!

 

もちろんあの『山猫』のクラウディア・カルディナーレともお話しましたよ!

 

 

私はCSC卒業時に、トージ氏から

「ミレーナ・カノネーロのところへ行ってみないか?」と言われました。

 

アカデミー賞常連の衣装デザイナー、ミレーナ・カノネーロです。

 

そして行先はソフィア・コッポラ監督の制作現場でした。

 

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