【1章】20歳で着物デザイナー、人間国宝級のテクを盗んでイタリアへ!
【2章】イタリアのデザイン事務所に体当たり、やり手社長の正しい正しい商業デザイン!
【3章】超難関!イタリア国立映画実験センターで不滅の衣装デザイナーから直指導
ここまで長いプロフィールを読んでいただきありがとうございました。
私がデザイナーになれたキッカケについてご紹介しました。
最後にデザイナーを志すあなたへ。
私のキャリアは見栄えがして”なんかすごそう”に見えます。
でも幼い時からの経済状態や、近所の公立高校に行ってた、コネが全くなかったことなどはごくフツー‥
私がどうやって結構すんなりデザイナーになれたか理由を分析します!
理由はアイデアの素をたくさんもってるから!
私はヴィスコンティ監督の衣装デザイナー、ピエロ・トージ氏から直接注入された超ファッション史の知識をもってます。
これが私のアイデアの素。
膨大な事例を知っているのでアイデアが尽きることはありません。
デザインとはよりよく使いやすく美しくブラッシュアップしていくこと。
過去事例をヒントにすでにあるものをより美しくしていけばいいのです。
『全ては創造されつくした。
我々はリノベーションすればいい。
決して新しく創造することはできないし、してはならない。』
ピエロ・トージ氏座右の銘です。
リノベーションをデザイナー一人一人の目というフィルターを通し行う。
『創造』はその後‥
映画なら映画監督の要求に応えて衣装をデザインする・・
シナリオを読んで、100個くらい衣装アイデアを出す。
そうすると監督と具体的に話し合えて、デザイナーと監督の共通ワードみたいなものが出てきます。
そこから衣装デザインを深堀して固めていきます。
100個のアイデアの素はファッション史から出てきます。
つまりアイデアの素をたくさん持っている人が優秀なデザイナーとして仕事がたくさんあるんです!
このアイデアの素のおかげでイタリアと日本を行ったり来たりしながらデザイナーとして好きな仕事をしています。
これまで私には膨大なファッション史の知識が溜まっています。
イタリア国立古文書館から直接入手した超貴重資料なども。
これを個人で所有しておくのは妥当ではないと思うので公開しています。
デザイナーとして、ファッション業界で稼ぐために、ファッション史専門学校でぜひアイデアの素をためていってくださいね!
4章 ソフィア・コッポラの映画『マリー・アントワネット』に参加、あの巨匠に密着!