プロフィールでお話するのは一番多く質問されること。
それは最も難しいデザイナーへの第一歩。
私が海外でデザイナーとして「0を1にした」経緯です。
なので最初にデザイナーとしての実績を簡単に‥
- 元々デザイン業界に全くコネなしお金なし
- 20歳で着物デザイナー、そしてイタリアへ
- イタリアのデザイン事務所でテキスタイルデザイナー
- イタリア国立映画実験センターに入って衣装デザイナー
- ソフィア・コッポラ監督の映画『マリー・アントワネット』に参加
- ファッションデザイナー
このような経歴を持っています。
今回のプロフィールでは
「どうやってデザイナーとしての現在のポジションを築き上げることができたのか?」
を紹介します。
そしてブログタイトルにもある
「デザイナーとして独立し、自分の力で十分に稼げるようになる方法」
の「ヒントになるようなストーリー」で書きます。
- これからデザイナーを目指す人
- 業界へのコネもお金もない人
- デザイナーで思うような結果が出ていない人
- フリーランスで独立したい人
- 海外留学して現地で働きたい人
それではまず、20歳で着物デザイナーになった話から。
【1章】20歳で着物デザイナー、人間国宝級のテクを盗んでイタリアへ!←イマココ
【2章】イタリアのデザイン事務所に体当たり、やり手社長の正しい正しい商業デザイン!
【3章】超難関!イタリア国映画実験センターで不滅の衣装デザイナーからしぼりとれ!
目次
20歳で着物デザイナー、初の人脈は人間国宝級!
18歳の時にごくフツーの国立大学芸術学部へ進学。
絵を描くのが好きだったから。
この時点で絵がちょっとウマいレベル。
とびぬけた才能はありませんでした(汗)
ここで、偶然友禅染と出会いました。
生まれて初めて出会う超カッコいい本格的デザインの世界に圧倒されることに。
と強い気持ちが生まれました。
正座すらしたことのない私でしたが、日本伝統工芸、着物デザイナーの世界へ。
その時の師は偶然、人間国宝級のエライ人でした。
ここでトップレベルのデザインの『品格』を頭の先からつま先まで叩き込みました。
ヘンなデザインをすると師から
とか言われながら‥
そのかいあって、私の制作した能衣装が東京国立劇場の舞台で使用されるまでになりました。
今では某美術館蔵になっています。
私が若くして着物デザイナーになれたのはたまたま好きなものに出会ったから。
そしてきちんとした本物の知識を正しい人から直接おしえてもらったから。
これが人生初のデザイン界での人脈になりました。
このころの趣味は海外ビンボー旅行。
大卒時の選択肢は2つ。
- 某芸術大学教授の助手になる!
- 着物デザイナーとして日本伝統工芸のアトリエを開く!
でした。
海外旅行先で広い空間にある遺跡と、どこまでも青い空が広がるローマが気に入ったから!
それだけです(笑)
深い思想とかもない、思いつきです。
そしてイタリアの行き先は名門ローマ美術アカデミーの舞台美術科。
カッコいいでしょ?
だってここは国立なので学費が年間10万円未満と、とても安いからです^^
でもちょっと待って!
チョットあたし、計画しておこうよ!
もうしょうがないなあ、じゃあ‥?
なんとなくステキなイタリアへ語学留学!
半端な出願待ち期間があったので、早速イタリア語を勉強開始!
とりあえずノリでイタリア行っちゃえ~
でもできるだけ長くイタリアに行きたかったので、学費を押さえないと。
募集も年に何回もあるので、アカデミアより入りやすい。
外国人大学はシエナとペルージャにあります。
どちらもこじんまりとした歴史のあるステキな町です。
よくある質問、イタリア語学留学、どうやって行先を決める??
その中で留学先を小さな中世の城塞都市であるシエナに決定!
理由はもちろん
です(笑)
だって行ったこともない知らない街だもん。
シエナへ行っていた音楽家さんや画家さんのブログをチラっと読んだ感じ、よさそうだったから、です。
もしあなたがこれから行先を決定する場合、語学留学ならイタリア中どこでも楽しいと思います^^
国立外国人大学はシエナとペルージャにあり、
- クラスは大人数
- コースは最低一か月
- 入学時期が月に一度
- 寮の斡旋あり
です。
ここで日本で3ヶ月以上のコース分の予約金を払っての『ビザ取得』が重要です。
ビザさえあれば、6ヶ月のビザでも一年のビザでも、同じように滞在許可証はおります。
この滞在許可証をイタリアで延長すればOK!
とにかくイタリアでどこかに在学する必要があります。
国立の大学やアカデミアなら学費はほとんどかからないので、私はこのコースにしました。
私立語学学校は大都会にも田舎にもあります。
などに最適!
私にはもってのほかだった私立学校は、
- 毎週入学できる
- 費用がかかる
- 宿泊や滞在のトータルサポートあり
- 英語が通じる
- 一週間のコースがある
- 料理・アートなどいろいろなプログラムがある
など、お高い分いろいろな良い点があります。
国立外国人大学に行くって大変??
とにかく国立は書類送付とか、やたら時間がかかる!
なので思い立った時にすぐ情報収集始めたほうがいいです。
メールで送っても、すぐに見てもらえるわけではない、と覚悟した方がいいです。
「お客様は神様」ではありません!
「働く人が神様」です!!!!
その日のうちに日本の出身校の英語での卒業証明書を申請してもいいくらいです。
使わなかったらまあいいや、くらいで。
でも最近、外国人大学の入学手続きはオンラインで出来てカンタンなようです。
夢のよう・・
でもこれはその時によってコロコロ手続き方法が変わる!
なので絶対に東京の「イタリア文化会館」に聞いてみたほうが無難。
大人数だと上手く勉強できないという人もいますが私は少人数だと逆になんか恥ずかしいタイプ。
でも・・
これからイタリアに長く住みたいかもしれない節約中の人は国立一択!
ここは年間での入学時期が数回だけです。
一方スキルを磨く旅行がてらの方にはすぐに入れる私立学校!
ココは毎週入学できます^^
私は4月にイタリア語がしゃべれないままシエナ外国人大学行きを決定。
そして7月からのコースに超駆け足で申し込み。
シエナの正しいイタリア語を話す人脈でイタリア語速習!
そして7月のある日、格安の中華航空(長時間すぎてもう使えません><)でローマの空港に到着!
見知らぬ土地に行くのが怖くて、飛行機が着かないようにお祈り(笑)
コースがはじまってからはスペイン人たちの圧倒的な吸収力に負けないように頑張りました。
以下の勉強法は私の右脳を使う方用↓↓
広場にいるヒマそーなすべてのイタリア人が先生。
この正しいイタリア語を話す人々。
これがイタリア語学習の強力な人脈。
文法を勉強するより、耳で聞く言葉をすべて覚えるように努力。
イタリア語をイタリア語で覚えるようにしました。
初めは辞書は難しいので見ない!
私の初心者イタリア語学習法
- バスに乗ってゆったり座る
- 耳から入る発音をすべてノートに書く
- 降りてから広場に行って、ヒマそうなおじいさんかおばあさんを捕まえる
- 正しく聞き取れたか、チェックしてもらう
- イタリア語で意味も説明してくれる
- それを全部丸暗記
2週間は何もわからなくて赤ちゃんレベル。
日本人ともイタリア語でしゃべり、独り言もイタリア語。
一か月たつ頃にはスペイン人学生に追いつけました。
※左脳を使って、順序だてて理論的に学ばないとおちつかない方は、従来の文法書を使うやり方で勉強してください!
7月一杯の初心者コースが終わって・・
ナポリ旅行に出。
超ビンボー旅行だったけど、土地の人達と会話必須。
これで生きたイタリア語日常会話が身についた!
ここまで2か月。
9月からシエナに帰り3か月間の初級コース受講。
その後アカデミアへの出願は各自出身国からしないといけないとなり、帰国。
これは日本からもちろん知ることが出来ます‥
イタリア語のおかげででチップが〇〇万円!!??
日本に一時帰国していた間‥
冬季オリンピックのイタリア人選手団の通訳をしました。
私が開催地の山の中についた時。
ちょうど常連金メダリストアルベルト・トンバ選手が自家用ヘリコプターで到着!
その時金メダルを2つ取る女性選手がいて、二人で楽しく日本文化の話をしました。
彼女の帰国の日、通訳の私に差し出された封筒‥
中にはお礼のチップ!
イタリア語が日本でマイナー言語なおかげです。
国立美術アカデミアで本物の知識人からアートの知識を伝授!
そして東京で2月の国立ローマ美術アカデミア舞台美術科に出願。
東京のイタリア大使館に行って願書提出をしないといけません。
日本での書類は公定翻訳が要ります。
霞が関にも行きました。
ビザも申請、もらうのに一週間。
これだけで5か月見ておいても・・
夏にまたシエナ外国人大学へ。
今度は中級コースを受講。
なのでイタリア語習得はスルーしてローマのアカデミア入学試験へ。
でもとても簡単な外国人枠の実技程度で、定員もたくさんありました。
※これは数年前まで。
今は外国人枠が決められていて、試験もかなり難しいです。
入学して一番感じたことはイタリア人が持っているケタ違いなアートへの造形の深さ。
パン屋さんもIT関係者も、美術史はイタリア人なら小学生から必須の常識!!
その美術史をベースにして制作アイデアのでてくること!
差を埋めないと!
まずはクラスメート全員に聞きまくり。
一回聞いてみると話がとまらない!
マシンガントークとともにローマ中を案内してもらったり‥
古本屋さん、考古学者、デザイナー、コックさん‥
手当たり次第に誰にでも質問。
そのうちイタリア全土に美術館・博物館・教会・遺跡を訪ね歩くように。
新たな美術畑の人脈とともに本物を見まくりました。
2章 イタリアのデザイン事務所に体当たり、やり手社長の正しい商業デザイン!